鬱について

ガブリエル・アプリンの「let me in」の歌詞を、なんとか辞書を引きつつ訳して泣いている。意味が正しいかどうかはこの際二の次で、登場する“ページのない本棚”のような男の子が自分の思想を見せびらかさないのに、自己投影してむせび泣く。わたしのようだと感情移入してたまらない。こういう悲しい曲がわたしは好きだ。悲しい曲ばかり聴いていると鬱だと言われて、それは悲しい曲の悲しさ以上に悲しかった。

 

不思議なことに自己否定はしているときは気づかない。自分のことが大嫌いだから、骨の髄までいじめ抜く。攻め抜く。自信を持ちなよと言われようと、いくら笑えたあとであれ、根底には自己嫌悪という冷たくて硬いドロドロして醜いものが横たわっている。これ含めわたしなんだ。

 

みんなが敵だ。みんな助けてなんてくれない。みんなわたしのこと嫌っている。ダメなやつって思ってる。知ってる。知ってるから、邪魔にならないように暮らす。面白いことも言えないし、共感もへたくそ。媚びなんて売らないし、助けを乞うたりしないから、怒らないで。嫌わないで、ダメなやつって思わないで。わたしちゃんとやるから。ちゃんとやるから。家族に対しても、職場でも、あ、変わらない…………

 

男のひとは特別だ。分からないけど、絶対に公平になんて思えない。嫌われたくない。怒らせたくない。褒めるから、優しくするから、気持ちのいいこと言うから、怖いことしないで。大きな音立てないで。叩いたり怒鳴ったりしないで。

 

“少年は幽霊のようだ”“インクのないペンで手紙を書く”“血が滴ってもそんなの構わないって言うんでしょう?あなたを構成するものなのに”

 

悲しくて悲しくて泣いて泣けば明日は晴れるのだ。とりあえず。とりあえず。今夜は誰のことも責めないように、できるだけ穏やかに、眠りにつくのだ。